何かあったら起こすという約束で先に休ませてもらった私は、10分ほどで目を覚ました。ちらりと横を確認すれば、轟は次々に移り変わっていく景色を厳しい眼差しで眺めていた。
「交代」
「もう少し休まなくていいのか」
「大丈夫、慣れてる」
神経を尖らせている轟にそっと声を掛ければ、ゆるりと視線が向けられた。疲れが僅かに滲んだ声で気遣ってくる轟に、私もまたゆるりと視線を向け、微笑む。
「俺が知らねぇだけで、こういう任務多いのか」
「そうかも。誰かさんに比べると目立たないから」
頭の中を整理するためだけの休息には十分な時間だ。納得がいっていない顔をしていた轟に「おやすみ」と声を掛ければ、そろそろと寝の体勢に入った。
窓の向こうでは、こちらに迫ってくるような勢いで景色が動いている。春だったならばきっと緑が一面に広がっていて、壮観だったのだろう。
次があれば、春の季節にどこか知らない土地に出かけるのも良いかもしれない。その時は一緒に駅で買った弁当を食べて、すこし眠くなって目的地まで昼寝をして……きっと楽しい。
隣からいびきが聞こえた。鼻を摘んでやれば、うっすら開いていた唇が歪み、フガッと小さく声をもらす。手を離せばまたすやすやと穏やかな寝息を立てていた。
本人は気づいていないかもしれないが、彼の左側は温かい。左右の手のひらで温度差があることは自覚しているようだが、隣にいるだけで分かるほどの違いとは思っていないのだろう。
冬の暖炉の前、春の陽射し、そのようなじんわりと控えめな温もりではない。
いくら遠ざけようとしても、我が物顔で居座る。近すぎるといえば、俺は気にならねぇと自分勝手な感想を宣う。
朝日に似ているのかもしれない。勝手に昇り、まだ寝ていたいというのに暗い部屋を勝手に照らす。はじめは無視するのだが、あまりにも当たり前のように照らし続けるのでこちらが折れて、布団の中から這い出る。
そのような図々しい温もりが、私の心を溶かしていった。
はじめから気には掛けていたものの、あの遠慮のなさに懐柔されたのは確かだ。
無遠慮に与えられる温もりがいつの間にか心地よく感じて、きっとその頃から私は轟のことを好きになっていた。
幸せになって欲しい、から、幸せにしたいに変わったのはいつからだろう。
轟の隣で彼を幸せにするのも、隣で幸せになるのも私がいい。そんな欲を押し殺し、隣にいられるだけで十分だなんて聞き分けの良いフリをしはじめたのはいつだろう。
瞬間的なものではない。
与えられる温もりによってこの胸に生まれた恋心は、食らい尽くすことも棄てることも出来ずに賞味期限を切らした。
もしかしたら一度は腐ってしまったのかもしれない。それでも大切に心の奥に仕舞い込んでいた恋心は、養分となり、ひっそりと何かを育んだ。
幸せにしたいだなんて利己的かもしれない。私の隣を選んでくれればこの世で一番幸せにできる、だなんて断言できるほど自分を信頼しているわけでもない。
しかし、私の帰宅を待たずに寝ている轟をみてゆっくり休めていることに安心するのも、美味しく焼けたハンバーグをさりげなく轟の前にだすのも、大好きなショートケーキのいちごをこっそり譲るのも、これらの理由はたった一つの感情で言い表すことができる。
感情に名前がつけられたことでぼんやりとしていた輪郭が確かなものになった気がした。
轟はかれこれ二十分ほど寝ているが、交代を言い渡す気にはなれなかった。もう少し穏やかな夢をみていて欲しい。
私の夢にも似た願いは、そうそうに打ち砕かれることになる。風を切り裂くようにして何者かが追いかけてきている。
「……ねぇ」
「……来たか?」
「後ろのドアから出よう」
「分かった」
肩をつかんで揺らせば、弾かれたように双眸が開かれ、周囲を警戒するように動いた。
さすがに新幹線の車体を破壊して乗り込んでくるなんてことはないと信じたいが、可能性はゼロとは言い切れない。
この中での戦闘は力を存分に発揮できないし、何より民間人に被害を与えてしまう。外に出て、迎撃をしようと提案をすれば、轟はすぐに頷いてくれた。
外とつなぐ扉を開けられた新幹線は、異常を感知して橋の上で緊急停止をした。野次馬が集まるまえにひょいと車両の屋根に登る。
「緑谷」
「久しぶりだね。轟くんにミョウジさん」
行動を読んでいたかのように、驚きもせずにいつも通りの人当たりのよい顔で私たちを出迎えた緑谷。ヒーロースーツを着用して、準備万端な様子だ。
申し訳なさそうに下げた眉尻のあたりをぽりぽりと掻きながら緑谷はこちらに話しかけてくる。
「……申し訳ないけど、着いてきて貰わなきゃいけないんだ。大切な二人に手荒なことはしたくないし、大人しく従ってくれると嬉しいんだけど」
「嫌」
彼が言い終わるよりも先に攻撃を放つ。先手必勝だ。
風でかなり遠くまで吹き飛ばしたが、浮遊ができる緑谷はすぐに追いついてくるだろう。
橋の上で停まっていた新幹線から飛び降り、川に着水するよりも先に風で身体を浮かせる。
「緑谷は?」
「……追ってきてはねぇな。あれだけ厚ければ、少しの時間稼ぎにはなるだろう」
川の一部を凍らせて厚い氷壁をつくった轟は、ふぅと小さく息を吐いた。
居場所は割れているのだ。こそこそと移動する必要もなくなった。このまま個性を使用して一気に移動してしまおうと、気合を入れ直す。
「行こう」
私の声に、轟が力強く頷いた。